2024年1月27日土曜日

相鉄7000系(2011年4月前後)

 先日、相鉄(相模鉄道)7000系の記事を書きましたが、7000系は既に見られなくなっております。

父が、私が2011年前後に撮影した7000系の写真を、探し出してくれたので、UPしてもらいます。

これが、今は無き、相鉄7000系。
長いこと、ローカルな貧乏会社だった相模鉄道(株)を、高度経済成長期~バブル時代に確固たる地位に押し上げた車両です。




天王町駅近くの帷子川の傍らを、鯉のぼりと一緒に、すいすいと。





まだLED表示はなく、方向幕・表示幕は、すべてアナログ表示です。







相模鉄道(株)で、乗降客数が圧倒的に多い横浜駅。
3線3面ホームを、過密ダイヤでひっきりなしに、出入りします。







横浜駅寄り先頭の7005系。
扉の取っ手、丸目のヘッドライト、テールランプと、シンプルです。







かつての平常ダイヤ時は、
1番線ホーム(JR東日本側)は、各停(快速)専用乗降ホームでした。真ん中のホームは、ほぼ降車専用(相鉄は、少し間をおいて、両側の扉が開き、人の入れ替え、動線をよく考えられて運用されていました)。
3番線ホームは急行で、二俣川駅より西側の方は、二俣川までワープするので、我々鶴ヶ峰駅より手前駅使用者は、この駅でお別れします。


同じく7000系7005ヘッド湘南台行き。
天王町駅付近か。








7000系7709ヘッド横浜行き。
星川駅か。








7000系は、1975年にオールアルミ車両。
下記の2100系、新5000系での台車流用、6021系での試作車等で安定性を確認したうえで作られた新造車。

非常に似たデザインの1970年の2100系は、大元は、省電、旧国鉄、各私鉄の17m車、18m車の台車・下回り等を使用し、この外観で驚くべきことに、吊りかけ駆動方式(改造はされているが)で、お客様が触れる車体は、7000系同様に、オールアルミで、乗っていても魔改造の上手なこれらの車両が、当時非常に歴史ある台車をしようしているなど、考えもしなかった。何せ、大元の神中鉄道・相模鉄道ともに、戦前・戦中は、驚くほど極貧だったらしいので、その当時の苦労を今に生かしている立派な会社です。


7000系7512(海老名側)各停、横浜行き。









旧型の連結器。7709形。

ナックル型の密着自動連結器は、EF65やEF66に採用されていたため、これぞ、連結器というイメージが強い。





『どうだ!』というアングルからの、顔。









7000系7005ヘッド。









運転席横側から。(既に新たな相鉄CIが)

相鉄(日立製作所製)お得意の、車輪外側にあるディスクブレーキ。
直角カルダン方式。
登場時から、オール冷房付き。
今では当たり前の4扉20m車両。
フロント下部は、事故から運転手を守るためにステンレス仕上げ。
幾多の改造を重ねながら、進化しながら最後まで、車両人生を使い切る相鉄ですが、VVVFインバーターは、搭載されなかった、(新7000系は、磨きをかけ続けています)


7005形MT車のパンタグラフ。
シングルアームが当たり前になりつつある今では、懐かしく重みのあるデザイン。







保土ヶ谷図書館前を走る7000系7507ヘッド(海老名寄り)

各停の方向幕が、青地に白字と、白地に黒字とが、変成ごとに入り交じっています。





あれ!同じ7000系7507ヘッドですが、湘南台行きの際の種別幕は、青地に白字。
相鉄の社内でも、愉しんでるのかな。







7005ヘッド。
2100系、5000系に比べて、少しだけ前照灯が外側に。少しアンバランスですが、それが愛嬌。








電球交換の楽な、仕様です。
なべビスを採用していますが、ネジがなめらないように、六角ボルトにしたいところですが、デザイン上、仕方ないのでしょうね。






テールランプもシンプルで、上部のネジを外せば、パカンと蓋が開くシステムのようです。







昨年からの、相鉄新横浜線開設により、すべての種別が、絶対に停まる駅となった西谷駅。

上の高架が、東海道新幹線です。
新幹線西谷駅ができたら、全相鉄利用者にとっては、非常に便利なんですけどね。
リニア新幹線ができたら、『こだま』でいいから停まってくれると、東京駅方面・小田原・静岡方面と行き来が非常に楽になります。沿線人口が100万人はいるので、案外と潜在能力は高いと思いますが。
7719ヘッド。










高架の駅舎下を入線してくる姿も、様になります。





どうりで乗降客が多いと思ったら、鶴ヶ峰駅。
かつては、東京・京浜工業地帯に向かうサラリーマンを白根地区・今宿地区・川井地区、遠くは若葉台と数多くの人々がバスに揺られて、集まってきて、もっと賑やかな駅でした。
現在、北口再開発事業で、目が離せない土地です。


西谷方面へS字カーブを下りていく7512形ヘッド。








薄暗くなってきた中を、スムースに登ってくる7509形。
素敵なカーブです。
亡き爺さん(昭和14年式)の話によれば、昔はこの坂を上り切れずに、下りて押すこともあったとか。

それも再開発により、地下化してこの景色も見られなくなるそうです。


鶴ヶ峰から横浜方面へ。
この景色を、父の肩車からよ見たものです。








西谷駅で8000系とすれ違う、7000系7509形。

少し、古さは否めなくなってきました。

前面に板金した痕跡が。




帰宅ラッシュが始まってきたようで、多くは横浜駅からの乗客を乗せて。








7005形ヘッド。各停、横浜駅行き。
夕方の星川駅にて。








ほぼ空気を運んでいる状態。

朝は、上り横浜駅行きは、はち切れんばかりの満席状態。海老名・湘南台方面のベッドタウンから、拠点の横浜駅へ向かう人が多い鉄道。

2023年の東急等相互乗り入れ(JR相互乗り入れは既に始まっているが)からは、人の流れがどうなるのだろうか?


7707形ヘッド。
横浜からの帰宅の方々を運ぶために、増発されたのか。







父の好きな9000系とすれ違いの7000系7005形。








私の好きな8000系とすれ違う7000系7005形。

やっと、急行運用の登場です。






二俣川駅近く鶴ヶ峰寄りの保土ヶ谷バイパスをくぐる、急行 海老名行き7000系7005形。

保土ヶ谷バイパス(国道16号線)は、日本一の交通量を誇ります。
同じく、東海道新幹線、東名高速道路、JR貨物東海道線の下を走りますが、それぞれ全てが日本一で、非常に重要な交通網と交差している鉄道です。
さらに、かつての東海道は跨ぎ、鎌倉街道中の道(鎌倉草創期の幹線道)は、鶴ヶ峰西側の踏切付近を通り、東海道の裏街道の中原街道は跨ぎ、鎌倉街道上の道は踏切で、東京(江戸)と近畿地方を結ぶ重要路線の宝庫です。

月に照らされる桜。









右から、7000系、新7000系、8000系。









開いた踏切から、望遠レンズで撮ったのか。
危ないから、線路内には入ってはいけません。









少し車体を傾かせて疾走する7000系。








夕焼けに照らされる7000系。










西谷~上星川間を疾走する急行横浜行き7000系7005形。 

同じく下っていく、横浜上り急行7000系7507形。
上部に、横浜環状2号線が見えます。

こうしてみると、主要道路をくぐったり、跨いだりと、非常に忙しい路線をぶち抜いて走っていますね。横浜新道もありました。



それと同時に、山坂が多い横浜市ですが、特に西区・保土ヶ谷区・旭区は山の上まで宅地化された地域が多く、それを語る景色ですね。






こうして改めて分かったのは、ジャンパ(制御回路・冷房等の電気回路・ブレーキ等の油圧システムをつなぐホース・線)の形状が違います。

海老名・湘南台方向は、車体の下すれすれに、使用しない際のジャンパを引っかけておく形状になっており、
一方、前の写真の横浜方面には、そのホース(線)をジョイントする【受け】が、車体の下にあり、少しスマートな印象を受けます。

10両編成と、8両編成を時間帯により使い分ける運用方法のため、連結器だけでなく、これを付けたり外したりしますが、海老名側で運転台付きの2両を脱着しているのですかね。


西谷から上星川へ下るカーブ。
電車にとってはそれなりの勾配です。
相鉄の最大勾配は、二俣川駅からいずみ野線を南万騎が原方面へ分岐していく坂道です。





7507形の前面。
様々な局面を乗り越えてきただろう、疲れが見えます。

経営が大変な地方私鉄で第二の人生を送れば、まだまだ走れそうな感じですが、相鉄は駅間が短く、ストップ&ゴーの繰り返しで、カーブ・坂が多く、さらに稼働時間が多いので、見た目以上に走り切った感があるように思います。長い車両全長、ATSシステムの違い等からも、他への譲渡は難しいのかも知れませんね。本当は、地方で走っていたらその雄姿を見たいのですが。
多くの客を、鶴ヶ峰駅で一気に降ろして、7000系が安心のまなざしで、彼らを見送っているように見えます。










当時は数少ない大和行き。

こうした短距離の運用を交えて、横浜からの帰宅ラッシュのために、相模大塚あたりで、休憩して、また横浜へ向かっていくのでしょう。




『回送』平沼橋駅にて。

横浜駅~西横浜駅間は、JR東日本の東海道線、横須賀線との並走区間。
左側に、今となっては、神奈川県ではなかなかお目に掛かれないJR211系電車が爆走中。
相鉄が、ゆっくり過ぎて、より、そう見える。


横須賀線のE217系も、脇を飛ばしていきます。



種別幕・方向幕と、アナログで味がありますね。








車体横にも。
ブラックに赤文字。
当時から、色々と取り入れていますね。相鉄線。





横浜市民には、絶大なる権威のある『横浜高島屋』の看板が見える終着駅、横浜へ。

「ばらの包み」で頂戴すると、ワクワクします。横浜高島屋は、当初から相鉄が株式を多く保有し、JOINUSと共に、成功した事業。















鶴ヶ峰のS字カーブを横浜へ。
相鉄線の各停は、二俣川~横浜間は、ある程度前までは、急行に抜かれるために途中駅で、退避しない運用だったため、
止まっては走る。止まっては走るの連続で、急行運用よりも、瞬発力と力強いブレーキ力が求められ、車両にとっては厳しい走行。
逆を返すと、急行よりもキビキビしていた。

独特のサウンドの直角カルダン式モーター台車と、やはり独特の外側のディスクブレーキ。







7000系先頭車、少し下から



7000系の付随台車。









それにしても、西谷の急斜面に住宅・マンションがよく建っている。







急行は、ゆっくりと走り、このあとを、各停が猛ダッシュで追いかける。
というより、後ろから接近してくる急行から逃げ切るように。

相鉄7000系は、アルミシルバーに朱色っぽい赤の貫通扉とサイドラインでアクセントとなっているため、種別幕は、赤色下地の【急行】が、似合っている。


7000系が長男ならば、4男の立場にある相鉄9000系。相鉄レッドは引き継がれていた。








やはり、新しいだけあって、スマートな車体ライン。連結器も隠してある。








脱線防止ガード(護輪軌条)で、ガッツリ脱線防止予防。








10両編成がS字の入口から出口まで、乗っかっていますが、脱線しないで、それなりのスピードで走り抜けます。

日頃、保線してくれている方々に、感謝です。早い時期からロングレールを採用し、メンテが良いので、線路の線形が美しい。


この車掌さんは、わざわざ降りて、乗降確認。









ブルーに白文字の【各停】。
白に、黒文字と、色々と変化していってます。(何だか、愉しんでいるようにも見えます)






各編成、それぞれに微妙に違う、個性があります。







先述の9000系も、編成・時期によって、何かしらが違います。
新塗色をまとい、種別・方向幕が、LEDから、アナログなロール式に。理由は、乗る方に対して見やすい という事に尽きるのでしょう。





相鉄7000系と、10000系(右)が並ぶ。

相鉄7000系は、6000系、新6000系と共に一時代を築いた名車ですが、JR東日本のE231系をベースにした10000系は、父と一緒に体験ミステリーツアーに応募して初めて乗りましたが、スムースに動き出すし、シートは、相鉄のふにゃふにゃしたものと違い、しっかりしていて、シート座面も現在の平均身長に考慮して、少し高くなっており、足元がラク。内部のディスプレイも見やすいし、デザインもいいし(本家のJRよりも)、とてもワクワクしたものです。
ただ、直角カルダンならではの、駆動系の音と振動が無い。
窓が開かない。当然相鉄ご自慢のパワーウインドウも無い。
私にはあまり必要がなかったが、鏡が付いていない。
オールアルミ車の伝統が失われた瞬間。ステンレス製時代に。
あとは、相鉄のイメージカラーがしょっちゅう変わる点において、フレッシュグリーンのカラーリングはいいなと。
と思っていたら、相鉄ブルーなる写真の色に。
見慣れてきたころに、今度は、ヘッドライトがチャームポイントだったのに、マイナーチェンジで、遠くまで照らせるからだろうが、上部に移動し、既存のライトまわりはスムージングされ、ガッカリ。
さらには、横浜ネイビーブルーなる色に、随時変更されている。

私は知らないが、相鉄初代5000系は湘南型で、一般の鉄道としては初めて採用したボディーマウント構造(床下機器類を、ボディーで覆い一体化)かつ、モノコックボディーと、払い下げ車ばかりの相鉄としては、金字塔的名車。ただし、メンテナンス性、耐用年数の低さがあり、5100系へと早々に大改造。
相鉄の歴史は、極めて貧乏会社だったにも係わらず、戦後の高度経済成長期の東京都心ベッドタウン的地位の確保により、車両不足、自社発注の車両増強をしていきながらも、かつての清貧感覚を保ちながら、先の初代5000系のように、革新的、他との違いを意識して、常に、試行錯誤と変革の歴史だったのだと思う。
そして、東京乗り入れを機に、かなりいきり立っているように感じます。東京では知名度が低いので、田舎者と呼ばれないために。
そして、相鉄とは腐れ縁の日立製作所が、20000系と21000系で復活している。
常に、改革、革新していく姿が、相鉄の歴史なのだと考えます。

とても面白い会社です。
そして、一言、7000系を動態保存してほしかった。新6000系も。今後の車両も。
残念でならないです。

同じく、もう見られなくなってしまった弟分の、相鉄新7000系へとつづく。

大河【光る君へ】 いいらしいですね

  大河ドラマ【光る君へ】、さらには、あまり絵的に知ることのなかった藤原道長役の柄本佑さんの演技に、父ははまっているそうですが、 父は平安時代の台頭激しい、東国の力強さが、大好きですが、i-padのケースを見るなり、烏帽子として被っている。2016年なので、先を行っていました。た...