2024年2月24日土曜日

都岡の村が、お祭り騒ぎ

 2009年8月、横浜動物園ズーラシアに、天皇陛下・皇后陛下(当時皇太子殿下・皇太子妃殿下)が、植樹祭に来られた際、保土ヶ谷バイパスの下川井インターから、下道の『中原街道』を二人を乗せたクルマが通るとの噂が広まり、我々家族も、総出で、行ってみました。


【都岡辻:国道16号線、バス通り以前の明治時代以前に、生糸が大量に運ばれた八王子往還と、中原街道との交差点】には、日頃は車で通りすぎてしまうところですが、口づてに聞いた情報だけで、あっという間に人だらけ。警備の関係から、見学場所は、指定されて。




両陛下のお車が通過した、すぐあと。

恐れ多くて、お二方の写真は遠慮しましたが、皇太子殿下の静かな威厳を感じましたが、ゆっくり走行される際に、窓から、手を振られる『雅子様』の気品というか、優雅さに、我々はあっという間に、ファンになってしまいました。オーラが凄い。



通行時間は、あっという間でしたが、見学者は興奮冷めやらぬ感で、帰宅していきました。

旭区都岡町が、熱気に満ちた瞬間でした。

2024年2月22日木曜日

【二階堂】のCMに、出てきそうな写真


昭和初期の頃の電柱の照明みたい。


海の中に突き出した波止場。

大分むぎ焼酎 二階堂酒造有限会社のCMって、過去に置き忘れてきた、何かを探す旅みたいで、いい感じですよね。


どうも、撮影スポットみたいです。


打ち寄せる波間に映る夕日。


断崖の手前に広がる菜の花畑。



 菜の花がきれいです。

2024年2月21日水曜日

腰越からの江の島


 7年ほど前に、父の手伝いに付いていき、鎌倉 腰越からの江の島を撮りました。









葉山町方面が見えます。
ここからだと、鎌倉市街も由比ガ浜すら見えない。

800年前に、義経はどんな思いで、この景色を見ていたのだろうか。







江ノ電、唯一の路面電車区間。
(江の島駅方面から)

2024年2月19日月曜日

今さらですが、ボケの花って美しいですね

雨樋が、雪か春一番で外れたとのことで、即座に伺いましたが、
綺麗に整備された【ボケ】の花を見入ってしまいまいしました。
(気を付けないとトゲがあります。美しいものには・・・)





梅や桃の花も綺麗ですが、色合いの良さ・花の大きさから、見とれてしまいます。

父は昔から、【ぼけ】の花を見分けられずに、祖父に、『お前はボケてんだな』と言われていたらしいですが、花を見分けるのは難しいですよね。昨今では、身近にそうした庭が少なくなってきていますから。1970年代の盆栽ブームも遠い昔。

この【ボケの花】、織田信長の家紋として有名です。実も秋に収穫でき、【木瓜・もっか】と呼ばれます。
原産地は、中国で、平安時代に日本に来たようです。

珍しく平安時代を題材にした大河ドラマ【光る君へ】は、当時の装束・貴族のふるまい・庶民目線の世界と、ビジュアルで見られるとても良い機会で、非常に興味深い。
そして、平安期に中国からもたらされた植物、中国から学んだものが非常に多いことに気づかされます。
同時に、日本の気質、気候風土に合わせた改良、天皇・高級貴族を中心とした律令国家の完成、一方で、関東や東北へ、下級貴族が下ってきて在野ながら、後の武士政権である鎌倉幕府を育んできた交わりに、とても興味を抱きます。

2024年2月18日日曜日

トクホンCM【肩たたき犬】の墓

 

私の母方の曾祖父の生まれ育った、宮城県亘理郡亘理町の実家のワンちゃん(ピーチ)が、眠る墓に手を合わせてきました。

トクホンAのテレビCM(1991年)で、肩を叩くシーンで放送されていました。
Kannsaitanpopoさんupの動画

その後、2001年に16歳で永眠し、齋藤家のお墓の手前に、一緒に眠っていました。

ピーチは、生前も大人気だったようですが、亡くなったあとも、大好きな家族とともに。
現在伝わる、仏教の戒律では、人間と犬(猫)とは、別次元の生き物として捉えられ、同じお墓に眠ることは難しいようですが、この地域というか、お寺の住職さんが、とても優しかったのだと思われます。

飼い犬や飼い猫は、当人は私たちと同じ、人間(家族)だと考えているように思います。

痛ましい能登半島地震でも、避難所にペットが入れず、彼等も、その家族も、とても不憫だなと感じます。そろそろ、その慣習も工夫しながら乗り越える時期だと考えます。

私の父も、あんず(猫)を目に入れても痛くないほど、猫かわいがりなので、天災時に、避難所に一緒に入れないならば、『俺はあんずと、この家に残る』と言い出して聞かないでしょう。私もそうですが、父は仕事以外では、虫さんも含めて、無用な殺生をしない人間なので。

2024年2月15日木曜日

矢指川の源流を探して(2017年2月)

 矢指川(やさし)とは、横浜市の中央を東西に流れる、帷子川(2級河川)の支流で、帷子川との合流地点の、旭区今宿南町44番地あたりから上り、旭区矢指町西端に源流を持つ、短い距離の準用河川です。

父の通った都岡幼稚園の南側を上り、遊水池を経由して、相鉄バス旭営業所の北側の脇を通り、中原街道の下川井インターチェンジのすぐ北側の桜橋をくぐり、少しの距離だけ保土ヶ谷バイパスの北側を流れ、すぐにくぐり、下川井排水処理施設(かつて谷の一部が産廃埋立地だったため未だに排水を浄化中)を左に見ながら、矢指市民の森に広がる水田を見ながら歩いていると、菜の花畑が広がっています。夏は蛍が見られることで有名です。

菜の花が、2017年の2月5日には既に咲き出していました。









左へ進むと矢指市民の森。左奥側が追分市民の森。さらにその先の、野境通り(旭区と瀬谷区・武蔵国と相模国の境あたりを走る)の先は、県立瀬谷高校(現横浜瀬谷高校)一帯の瀬谷市民の森と、旭区とその近辺は、緑が大切に保全されています。


水田と菜の花畑の田舎道右手には、梅が盛りと咲いていました。









先へ進むと、上に中原街道。










来た道を振り返ると、菜の花畑は遠くに。










この近辺は、追分市民の森の範囲なのか・・・。山の中なので、隣接する矢指市民の森との境が良く分からない。







かつての谷戸田の区画の名残か、矢指川も申し訳なさそうに、脇を流れ(流され)、ほぼ直角になる箇所も。









既にそこらの道端の側溝と化しています。少し勾配が出てきました。









その先に現れたのは、沼とも池とも見分けのつかない湿地。









その上流に、角マス。途中が詰まっているのか、溢れているようです。旭区の小川の源流では、当たり前に見える茶褐色の泥。富士山の火山灰による【赤土層】から、鉄分豊富な水が湧いてきているのだと思われます。






ほんの少し先で、広葉樹の根本から水が湧き出ているのが見て取れました。
ここが、矢指川の源流なのでしょう。








首をあげると、【聖マリ・・】の看板が。【聖マリアンナ医科大学横浜市西部病院】のことです。私を含め、3兄妹が産まれた病院です。
隣接する横浜市の水道を管理する神奈川県内広域水道企業団(旭区矢指町1194)とが、矢指川の源流と考えてよいかと思います。

計らずも、水道企業団と矢指川の源流が一緒というのも、何か因果を感じます。

2024年2月3日土曜日

『宿』とは『天の岩船』

 20141112日 私、小川名 輝竜と、父 小川名 輝明の間で、妄想話が膨らみ、以下のようなレポートを書いていた。本日、父が見つけ出し、世間の目に触れることとなりました。(私たちは、直観的な仮設ありきで考えだすので、間違っている点も多いでしょうが)

 

    『宿』とは『天の岩船』

『宿』のウカンムリとは、一般的に家を意味する。

ここから、論証を始めると、次のような仮説が導き出せる。

仮説.『宿』とは、『天の岩船』

理由

1.  部首ごとに意味をとらえると、百人の家という意味。百人の家はかなり大きい。昔の時代に百人をいちどきに泊める宿・家は存在しにくい。幾つもの宿が混成した状態ならば宿(これが今現在使われている宿の意味だろう)でよいが、実際に1つの建物としては、建築し難い。しかし、存在しえたと仮定する。すると、それは当時としては到底人知の及ぶ大きさでは無い。

2.  地政学的に考えると、宿街が存在した場所は、街道沿い、街道の交差点、都の入り口前(或いは都から一日行程の場所)に存する。

人が行き交う場所、集まるところ、準備をするところにある。

要は旅人が移動する過程の、一時の場所。つまり場所から場所へ移動する事を、時間で捉えると、1日時間、2日時間~100日時間と限りない。時間の行き交う場所と考えられる。

3.  空間で考えると、空・大地・横の広がりと、現代人の感覚では、3次元。実際に現在では空を飛ぶ交通手段(飛行機・ヘリコプターなど)を考えると、あたり前の事だが、未来、或いは(ここが重要)、神代・修験道の時代では、人や神が空を飛んでいたと・・・。

それならば、その中に、宇宙を旅する宇宙船(船)があったと信じるならば、現在の人智において、生命が住める星まで移動するには数億光年はかかるとされている。けれど、未確認飛行物体の確認が各地でされている。それは現在にとどまらず、過去の文献にも記されているところ。つまり数億年もかけて地球までわざわざ、宇宙人がやってくるとは信じがたい。もっと単純な手法、例えば4次元、多次元の手法を使っていると考えられる。

4.  歴史上、天の岩船、鏡船、ノアの箱舟伝説と、たくさんあるが、これが史実(事実)だと仮定すると、1.で書いた百人を載せる乗り物(宇宙空間・時間・次元を移動できる)があったと思われる。

5.  『宿』の書きは『ジュク』。 鎌倉時代以前の文献では『ジク』。かつては、発音もジュクではなく『ジク』だったと考えられる。

6.  以上の事をまとめて考えると、宿(ジク)とは、時間軸・空間軸・次元軸・の『軸』に由来するものと考える。

宿が時代と共に移動するように、軸も移動する(地軸のように)

結論

よって、『宿』とは、日本の言葉・伝承で言う所では、天の岩船である。それが、ノアの箱舟のように選ばれし者が乗せてもらったのかは定かではないが、宇宙人(神)が必要としたものを、或いは合格した者を、天の岩船に乗せる。それ自体が宿。または天の岩船の乗車場所に、集められた場所を指して宿と呼ぶと考える。

大河【光る君へ】 いいらしいですね

  大河ドラマ【光る君へ】、さらには、あまり絵的に知ることのなかった藤原道長役の柄本佑さんの演技に、父ははまっているそうですが、 父は平安時代の台頭激しい、東国の力強さが、大好きですが、i-padのケースを見るなり、烏帽子として被っている。2016年なので、先を行っていました。た...