2024年3月5日火曜日

相鉄新7000系(2010年11月~2011年11月)

 大好きな新7000系は、私がこの世には居ない2020年11月には、すべて廃車・解体されて、相鉄7000系同様に、今は見られなくなってしまったようだ。私と皆の心のなかには、今も走り続けていることだろうが。


新7000系登場時の、旧塗色。







新7000系旧塗色と、新7000系新塗色

(新7000系としては。相鉄は我々には、面白いことに、よくカラーリングを変えますが、ギリギリで、現在の相鉄ネイビーブルー色はまとえなかったらしい)




鶴ヶ峰駅への最後の登り坂。







夕陽に照らされて、横浜へ急ぐ新7000系。







西谷から、鶴ヶ峰方面。
相鉄線は、ひっきりなしに行き来するので、レールもよく磨かれて、夕陽を反射します。

相鉄で川崎まで通勤していた祖父は、この坂を登れない時があり、皆で押していたと。
今では、大手私鉄に仲間入りしている相鉄線ですが、戦後のローカル線時代を夢想させます。

どこで撮影したんだっけ。
南万騎が原駅か?






おっと、万千の殴り込みか。
11000系と新7000系のコラボ。





新7000系新塗色と、8000系第2世代色のコラボ。
相模鉄道(株)が、、赤から、一気にネイビーブルーに変わり、皆さんを驚かせないように、意図的に、このグレーを基調に、ブルーラインを入れたのか。
よく分からないから、面白い。相鉄は。




君の誕生に当たっては、私が基礎を作ったのさ と言わんばかりに、兄の7000系も登場。
(実際に、相鉄は、いきなり新型車を一斉に出して置き換えるのではなく、先輩の良いところを真似て、悪いところは、改善して、実運用(OJT)の上で、予行演習を経て、PDCAを繰り返し、先代の流れを汲んだ新型車両を送り出すことに、非常に長けている)

先輩、私の目、格好いいでしょう!
父は、回顧的なところがあり、丸目ヘッドランプが好きなようですが、私は甲乙つけがたいですが、新7000系の各目ヘッドライトが好きかな。

長い間、相鉄の伝統だった、オレンジの下帯は、まだ受け継がれています。


モノクロの新7000系。

父の家は、勿体ない精神で、幼い頃は、白黒テレビで育ったらしい。

平成生まれの私には、想像がつきませんが、少し憧れる【昭和】です。



新7000系旧塗色のヘッドライトまわり。






すっきりとした顔立ちの相鉄8000系。
新7000系の流れを存分に汲んでいます。
私は、これも大好きだな。
父は、9000系が好きらしい。車両の中身は、少しの差ですが、DNAが近くても、外側のデザインで、好みが分かれるようです。



夜。星川の踏切を横切る新7000系。
外側に光って見えるディスクブレーキが、相鉄ならではで、大好きです。





俺様が通るんだ。
踏切に、入ってくるなよ。






古くもないし、新しくもない通勤車両。






上星川駅から、西谷駅へのS字カーブを登りだす新7000系新塗色。







S字で、10000系とすれ違う新7000系新塗色。
そういうえば、10000系の登場時までは、下サイドのオレンジ帯、あったな。
受け継がれてきた伝統であると同時に、東京の大手私鉄とは、一線を画するという意地みたいなものか。ある意味、ローカルでいい感じ。


新7000系、すすきと戯れて。






星川駅高架化 中。






その脇を、湘南台へ。
緑に白字の【快速】幕。






西川島町の七曲りの跨線橋をくぐる新7000系旧塗色。





西谷3号踏切を通過する新7000系。






桜咲く弥生台駅を発車する、新7000系。






踏切の無い『いずみの線』の弥生台駅。

いずみ野線は、予算削減のためか、トンネルが少し狭いため、通行できる車両が限られる。
JR東日本のE231系をベースにした10000系は、JR線区の量産型より、ほんの僅か小ぶりに作られている。


相鉄新7000系よ、永遠に。




見られなくなる前に、相鉄8000系もUPしないと。

2024年3月3日日曜日

15年前の鎌倉(大銀杏が健在)


 鎌倉といえば、鶴岡八幡宮。






公暁が実朝暗殺のために、隠れていたとされる大銀杏(おおいちょう)は、まだ健在。

15年前には。






平家池の上に、浮かぶように建てられた『鎌倉文華館鶴岡ミュージアム』。
当時は、神奈川県立近代美術館という名称でした。

自然光と、池からの反射光が、調和していました。





池の向こうに、源氏池と分かつ橋。大鳥居も見えます。
父曰く、高名な方の設計らしいぞ。厳島神社は、長い歴史と、見る人を圧倒させる力がある。この建物の良いところ、思い切ったデザインは素敵。ただ、まだ私が理解するには、若いのかな。鉄骨のサビ、水中の基礎、鉄筋コンクリートのメンテナンス、大変だろうね。住みたくはないな。と、建築屋らしからぬ発言。
私も、近代美術というものを理解するには、幼すぎました。


うーん。よく分からない。
ただ、天井にゆらゆらと写る、水面の影が、非常に心惹かれました。






うーん。
メッセージがあるんだろうな。
父は、『世間がこれこれだと言うから良いもの』の、″これこれ”を敢えて見ないで、前知識なしで、観て、感じて、自分が良いと思うかどうかという直観的動物なので・・・。



別館。何か圧倒される。凄いかも。
父:よく、あんな重そうな塊、浮かしているように作ったよね。そう感じた時点で、恐らく設計者はほくそ笑んでいると思う。施工者泣かせだけど、それが芸術らしい。
建築における芸術は、重力に反する点に、重きがあるようだ。あと何年存在しているのだろうか。
と、ぶつぶつ言いながらも、展示物を食い入るように観ていました。どうせ、忘れちゃうくせに。



こっちも、実際にオーバーハングしています。
同時に彼らが尊敬してやまない、ル・コルビジェの作品は、シンプルなのに、威厳を感じて素晴らしい。フランク・ロイド・ライトはとても分かりやすく格好いい。


私も父に似ていて保守的なのか、日本の気候風土に適したつくり、繊細な美しさの連続のなかに、しっかりとした大胆な形状でまとまっているものが好きらしい。
この御霊神社は、全国の神社のお手本のような作りで、何故かいつみても飽きない。

ただ、この作りも大きな屋根で覆われ、軒の出が大きくて格好はよいが、その分、地震・台風等の多い日本では、不利な条件が多いのに、長年の蓄積の上で、今の姿がある。
昔から、日本人も、重力に逆らう 或いは、自然と融合しながらチャレンジする精神性を持っていたのかなと。出雲大社が、巨大な建物だった痕跡が見つかっているが(高さ48mか96mと推定)、大風のたびに倒れて、現在は24m。それでも、平屋で24m(ビルならば、8階建て程度)もある木造建築。日本人も、なんだかんだ大きいものに魅かれるらしい。

祖父の勤めていた保養所に、泊まらせてもらった。建物は味があるし、庭も凝っている。(旭区の造園屋さんが入っていた)






江ノ電300形305編成。
もう70年近い車齢(台枠はもっと古いらしい)にもかかわらず、現在も頑張っているらしい。




鎌倉で、ちょとしたお買い物は、小町通り。
現在の方が、もうちょっと洗練されている感じがします。






鎌倉駅のガード下から。
東海道本線では、まず見る機会がない、国鉄のL特急(国鉄色)。
団体列車かな。







紀伊国屋の前庭にて、島根 千原神楽団さんが、演じていました。
ヤマタノオロチ退治のシーンか。

正月っぽいイベントで、貧乏子だくさんの我が家にとっては、無料で見られた楽しい思い出。


2024年3月1日金曜日

私好みの家 リフォーム

 

私が通った、市立桜丘高校のすぐ近くで、私好みの立派な家を、塗装替えを中心に、リフォームさせていただきました。




旭区都岡町の祖父母の家(現在は父が所有)は、建築後60年以上ですが、冬場の寒さに慣れさえすれば、春・夏・秋と、室内の空気が澄んでいて、穏やかに読書・調べものに集中できるため、私が半ば占拠していました。
(今は弟が住み、倉庫・接客・駐車のスペースとしても、活用されています)

モルタルの外壁に、瓦屋根って、THE昭和ながら、快適なんです。地震にも案外と強そうです。



鉄骨製ベランダの補強。
足場が掛かると、逆に作業性が落ちる敷地状況だった為、事前に作業。







ややもすると、落ちそうなベランダの根太も、鉄骨で最低限に補強。





竹が立派ながら、作業が困難なため、お客様にご協力いただき、






希望の長さに、近所の方に手伝ってもらいながら、切り揃えてくれました。(この辺りは、近所の方々の連携が素晴らしい)






大切に育てられてきた樹木も、やはり近所の方と相談され、『この際だから』と、ある程度残しながら、詰めてもらい、



こうして、足場が掛けられるようになりました。








この機会に、沓脱石も据え付け直し、







飛び石の配置も、相談しながら移動して、







事前準備を十分にしてから、足場を建てて、鉄部の錆止め、木部の下地処理。






大切な瓦に、塗料が付かないように、養生をしっかり行い、







無垢材の軒裏は、木目をしっかり残す塗装は、残念ながら、断念してもらいましたが、下地が出るまで、入念に研磨してもらいました。
(研磨して、わかるように、木材自体に、染み汚れが入り込んでいました)



こうしたモルタル外壁を、腕の良い職人さんが塗ると、既存の外壁をもたせる意味だけでなく、『深い味わい』を奏でてくれます。







小さな温室の植物・生やしてあるツタ植物に、影響が少ないように、養生。






近接したご近所の方々にもご協力いただき、住宅、クルマに影響がいかないように。
(高圧洗浄時は、運が良く小雨で、よりご迷惑をお掛けしにくい状況でした)





手間は掛かりますが、樋はデンデン(取付金物)から、外して塗装。







2階の大屋根から、下屋(下屋根)の軒樋(横樋)に、集中して雨水が落ちてくる箇所は、集水量が約3倍の角樋に、交換したため、これまで大雨時に、飛び越えていた雨は、その後スムースに流れてくれているようです。





通称半月(はんげつ)の樋から交換。






鬼瓦の大きな隙間は、本来ならば、棟瓦(その下の、のし瓦も)から、降ろして、木下地、銅線をやりかえ、再度、漆喰を使用しながら棟瓦を積んでいく、結構大変な工事になってしまうため、お客様と相談の上、コーキングも使用しながら、妹の詩(うた)が、密着させました。




破損していた樋の集水器を交換、軒樋を少し直して、塗装。








大きな軒裏は、木目を残せませんでしたが、ほどよい光沢で、味わいは作れたと思います。






瓦屋根って、日本の景色のなかに馴染んで素敵ですね。

一時期、瓦屋根は、耐震的に悪者になっていた時期がありました。
確かに、重たい。その事実は間違いない。
重心の一番高いところに、瓦があるから、横揺れのモーメントに対して、絶対的に不利な事は理解しています。
ただし、瓦屋根を載せる前提で作られている建物は、私が父から聞いている範囲では、特に関東大震災時に被災した地域、瓦の重みにプラスして、積雪荷重の掛かり、地震が頻繁に起きる新潟県の建物は、あらかじめ、木造であれば、柱や梁が丈夫に作られていて、木材の使用量で1.5倍近いらしい。
コロニアル屋根は、こちらの地域では当たり前に使用されていますが、寒い地域では、水が染み込んだ箇所から凍ることにより膨張し、剥離するため、メーカー推奨の使用地域は限定的です。その点、瓦は多くの地域で使用可能で、雨音はほとんどしなく、夏は涼しい。
長所・短所を考えて、メンテナンス時に少々高額なことを理解して建築すれば、瓦屋根も捨てたものではないと思います。

それにしても、この設計士さんとお客様は、よく考えたんでしょうね。

変形の敷地を逆手にとって、建物の外観にメリハリを持たせ、見る角度によって、違った顔を見せる。

こうした建物のリフォームは、楽しいらしいです。

大河【光る君へ】 いいらしいですね

  大河ドラマ【光る君へ】、さらには、あまり絵的に知ることのなかった藤原道長役の柄本佑さんの演技に、父ははまっているそうですが、 父は平安時代の台頭激しい、東国の力強さが、大好きですが、i-padのケースを見るなり、烏帽子として被っている。2016年なので、先を行っていました。た...