2024年4月10日水曜日

この桜の絨毯、いいですね

 父にしては、いい感じの写真。

自然光と、外灯による【差】で、景色が、別物になります。






現場の一等地から、ちゃっかり桜の花を見ながら、施工管理していたようです。
父は、高いところが怖いくせに、昔から、屋根や足場のてっぺんから、周囲の景色を眺めては、つかの間の愉しみにしていたようです。



鶴ヶ峯稲荷神社のまわりも満開です。
(神様の上から申し訳ありません)


2024年4月9日火曜日

御宿で経験した、簡易水洗トイレ

 

2016年、御宿の民宿に泊まったところ、始めてみるトイレ。
どうやって、使うのだろう?






見たことのないスイッチ。

父がこの【押】ボタンをおして、






用を足した後に、このノズルで、洗い流したら、便器が綺麗になりました。






帰ってから、調べてみたら、
西部ダイワ工業さんの、簡易水洗トイレだったようです。
横浜市では、水洗トイレ、浄化槽へ流れる水洗トイレが通常ですが、
下水処理施設が未整備の地域では、汲み取り式トイレか、非水洗トイレ(昔ながらのボットン便所)らしいです。
簡易水洗トイレは、1回の洗浄水量が、500㏄以下と、極めて少ない水で、洗い流してくれるようです。横浜市は、近代水道発祥の地だけあって、津久井湖・相模湖・丹沢湖・宮ケ瀬湖と、余程のことがない限り、上水道に困ることはありませんが、千葉県は比較的、水に苦労することがあるようです。
下水道に関しては、横浜市も他の大都市に比べて、未整備のところもあるようで、2回目に住んだ家は、水洗トイレながら、浄化槽式で、1年に1回は、掃除に来ていました。

2024年4月5日金曜日

佐々木さん発祥の地・沙沙貴神社(2011年4月撮影)

全国の『佐々木』姓、発祥の地に建つ、沙沙貴神社。(滋賀県近江八幡市安土町)
とても華やかな本殿です。








建築としてみても、美しい曲線の屋根が織りなした造形が、息を吞みます。









祭神のトップに、少彦名命を祀られていますが、この神様のいらっしゃる神社は、私が知る限り、軒の出が非常に深く、屋根が重くなる造りが多いように見えます。
それでいて、地震に弱い訳でもないようなので、日本の古くからの建築技術には脱帽です。






こちらが拝殿。
神楽殿ではない。
やはり、先述同様に、軒が非常に深く、少ない柱だけで建物を保ち、風通しが良いという特徴が、ある意味、共通点な感じがします。




比べ馬図。
佐佐木源氏発祥の地として、沙沙貴神社HPに解説されています。
もともとは、少彦名命が、小豆に似たササゲの鞘に乗って海を渡ってこの地へ来た(各地に多い伝承)ことから始まっているらしい。
ササゲの発音とササキの発音が似ているところから、このあたり一帯が沙沙貴(佐佐木)と名付けられたようです。

詳しくは、沙沙貴神社のホームページを見ていただければ、詳しくわかりますが、平安時代中期に、宇多源氏の源成頼が、京都からこの地に赴任したことが、佐々木一族の始まりで、鎌倉初期の御家人 佐々木定綱がことに有名です。
佐々木一族は、この滋賀でいうと、婆沙羅大名の佐々木道誉(佐々木判官・京極判官)が有名で、他に、六角氏、黒田氏、三井家、日露戦争で有名な乃木希典など、日本史に欠かせない一族・人物ばかりで、220余姓の末裔から篤く信仰されているそうです。
佐々木朗希選手も現代の超人ですね。
この楼門も、やはり屋根が大きい。

この神社にあるなんじゃもんじゃの木が、有名らしい。(仁和寺の法師じゃあるまいし)




2024年4月3日水曜日

長津田駅にて(2011年3月31日撮影)

長津田駅は、JR東日本の横浜線、東急電鉄の田園都市線、こどもの国線(横浜高速鉄道が線路を保有し、車両の運送を行っている東急電鉄)の三線が乗り入れている、横浜市西部の中核駅。




東急の新型車両を、JR貨物のDE10 1663が、甲種回送していました。





切り離しを容易にしている連結器廻り。






DD51型同様に、運転手が両端へ移動せずに、前後の運転が可能な運転台形式。





つぶらな瞳ながら、勤め上げてきたという誇りのようなものを感じます。

DE10 1663は、Team DEオフィシャルページさんによると、日本車輛製造豊川工場で昭和49年に生まれ、国鉄名古屋鉄道管理局 米原機関区に新製配置されてから、千葉、佐倉、品川、川崎と転属して、この当時は、新鶴見機関区川崎派出配置で、この撮影の5年後、2016年(平成28年2月)に、廃車となっている。
DE10型は、小さい身体ながら、機関区内の入れ替え、甲種回送と、マメに活躍する縁の下の力持ち的存在で、さらに、汽笛の音が哀愁を誘い、私も父も大好きな車両でした。
DE10型、11型は、蒸気機関車でいうところの、C11型、C12型同様に、【小さいけれど力持ち】的な存在で、貨物・客車の入れ替え、甲種回送(新造車、中古車両の移送)、車両数の少ないローカル線などで活躍した、あまり目立たないけれど、インフラを支える重要なディーゼル機関車でした。架線、つまり電気が無いところでも、直流・交流の区別なく、電気があるところでも、何の問題もなく走れる万能機関車です。
廃車:残念でなりません。

東急8590系(8594F)と、DE10 1663のコラボ。
この8594Fは、東急での運用を終了後、2019年10月に、富山地方鉄道(株)に譲渡され、第二の人生を送っています。

兄貴分が、8090系で、日本初の軽量オールステンレス量産車としての誉れがあります。

 

ステンレスのコルゲート仕様のサイドに、中央林間の方向幕。





中央の2線は、東急電鉄長津田検車区(車両基地)。
両サイドの線路が、田園都市線本線、つくし野方面。




こうしみると、かなりの急勾配。

東急7200系。
正面が『く』の字形に折れ曲がったダイヤモンドカットと呼ばれるデザインで、1967年から大量に製造され、世田谷線を除く、ほぼ全ての路線を走った東急の代表的車両。18ⅿ車。
この時は、既に営業運用から遠ざかり、事業用車両として、架線検測・車輪転削・他の車両のけん引車両として、働きましたが、2014年9月を最後に、廃車。

この形状が、ダイヤモンドカット。


しかし、嬉しいことに、全長18ⅿと短い車両だったため、カーブの厳しい地方私鉄では重宝され、7200系は、上田交通、豊橋鉄道、十和田観光鉄道(現在は路線自体が廃線・ただし、車両は移籍)・大井川鐡道で、第二、第三の人生を歩んでいる車両が、現存します。



架線を照らすLEDライト。






計測用のカメラ。





東急5000系4101と併走。
東急5000系は、相鉄10000系同様に、JR東日本と東急車輛製造(現総合車両製作所に譲渡)とで、共同開発した車両で、基本ベースはE231系車両。



さらにその瞬間に、JR横浜線を、DE10が走行。





東急7200系と東急5000系4101の連結。






東急5000系は、仮の連結器なのでしょうか。






東急車両2011のエンブレムが、できたての新造車の証。


連結の向こうに、横浜線205系が見える。






スリーショット。
目まぐるしく、様々な電車が来ます。

国鉄(日本国有鉄道)時代の開発による、205系電車。
かつて横浜線は、焦げ茶色の旧型車両、101系、103系、そして、写真の205系に置き換わり、2014年2月から、E233系に。
一方、山手線では、駅間が短く、急発進急停車に合わなかったようで、早々にE231系500番台、さらに、E235系と様変わりしています。
国鉄のイメージが残り、ドル箱路線なのに、長い事、山手線・京浜東北線・中央線・常磐線のお古の車両で冷や飯を食わされてきた横浜線には、良い意味で、この感じが愛おしかったのですが。

全てが横浜駅に行かない横浜線と揶揄されていますが、東神奈川駅・横浜駅間は、京浜東北線に乗り入れるにしても、東急がみなとみらい線に相互乗り入れした際に、旧東急東横線の線路を活用していれば、ある程度は、桜木町から直接乗れる横浜線になれていたのに・・・。横浜市役所が桜木町に移転したいま、そこまで通じていれば、かなり利用しやすかったと思うのですが。桜木町周辺、野毛方面にも人の流れを作れたはず。相鉄線にも同じことが言えるのですが。要は、横浜駅と桜木町・関内とのアクセスが悪く、横浜線・相鉄沿線民には、便が悪い。100万人以上を抱えているのに。極めて勿体ない。

出ました。こどもの国線。






スキップしながら、こどもの国を愉しみにしている子供がいとおしい。






こどもの国線は、単線ですが、今では沿線住民も増え、これを利用しての通勤客も多い。
長津田駅と、こどもの国駅の中間に恩田駅も出来ました。

沿線には、東急長津田車両工場もありますが、何よりも横浜には少ない水田地帯を抜けていく景色は、とても貴重です。
長津田駅からすぐの場所は急カーブで、レールと車輪の摩擦音で、かつて、近隣住民からのクレームが多く、東急はそれに対してかなり努力をしたらしい。

東急の爆音車両8500系が、けたたましい音を奏でて降りてきます。

東急の半数近くの車両数を誇った時期があり、東急の中興の祖ともいえる電車。



東急8500系と、大井町線へと回送されるであろう8590系。さらに左には、7200系。

物凄いモーター音を響かせて、急勾配を登っていきます。



東京メトロのステッカーを貼った、営団8000系。





かつての営団地下鉄(帝都高速度交通営団)の半蔵門線用カラーリングを施されています。




現在の長津田駅を通る電車も、だいぶ様変わりしたのでしょうね。

駒大時代に、バスを2つ乗り継いで、青葉台駅から、東急田園都市線で4年間通っていたので、愛着があります。
父も駒大ですから、入学当時は、同じルートを辿った時もあったらしいですが、途中から原付で、市が尾駅(いちがお)まで行き、そこからの田園都市線(当時は、二子玉川園から先は、新玉川線と称したらしい)通学。さらに途中からは、高速で、自動車通学していたようです。しかもキャブ車で。オカシな時代だったのですね。父から聞くには、かつての田園都市線は、青葉台駅からも、かろうじて座って乗れたらしい。今では痛勤電車と言われるほど、混雑率が激しいらしい。

2024年4月2日火曜日

世界で唯一の【飛行神社】へ

 二宮忠八氏が、京都府八幡市に創建された【飛行神社】
本殿の前に、パルテノン神殿のような白亜の拝殿。







羽根をはやした何かが飛んでいるような、不思議な魅力のあるステンドグラス。








大阪湾から引き揚げられた、零戦のエンジンとプロペラ部。
プロペラ部は、墜落時の衝撃からか、後ろ側に反りっている。







私も父も、戦争はできる限り無い方が良いと考えていますが、メカは、心を躍らせます。

父に見せたら、
中島飛行機株式会社の、空冷複列星形14気筒エンジン。ボア(内径)130㎜×ストローク(行程)150㎜のロングストロークエンジンで、14気筒も。排気量、27,860ccと、化け物のようなエンジン。
ただでさえ、V型、水平対向型エンジンと、政策にあたり、シビアな部分が多いのに、星形14気筒を、戦前に作っていたのだから、日本の技術力は凄いよ。
戦後解体され、12社のうちの筆頭が、富士重工業【現 (株)SUBARU】。
その血統から、飛行機技術が生かされているというスバル360㏄や、その後の水平対向エンジン製造に星型エンジンの技術が、生かされているのだと思われます。
低重心・シンメトリーにこだわったスバルの4WD技術は、日本の誇り。
オイル漏れ、燃費の悪さにも耐えて、沼にはまっているスバリストが多いのはよく解ります。FR車も魅力的ですが、それ以上の魅力が、走りに凝縮されていて、乗って極めて楽しい自動車作りをしています。ダイハツからのOEM前のサンバーが、農道のポルシェと言われる、たかだか660㏄の軽自動車にも、惜しみなく注入されている。4気筒RRレイアウト。そんな軽トラは、オカシい。欲しい。
※すいません。父は好きなクルマの話になると、面倒です。
※建築工具のシェア6割の(株)マキタも、中島飛行機の血統らしいです。
ジェットエンジンも奉納されています。
IHIのCMにもエンジン点火シーンが出てきますが、このレベルになると、付いて行かれない。







祭神は、中央に、饒速日命(ニギハヤヒ)
宇宙人の如く、天の岩船に乗って、大和地域に降り立った神という一面を持っている。失われた歴史上も非常に重要な鍵を握っている神様。(人物)
さらに、航空殉難者・航空功労者、薬祖神。




様々な理由はあったようですが、ライト兄弟に有人飛行を先に越されて、相当な落胆の後、航空事故を憂えて、自宅を改造して、この神社を建立したらしい。


手水にも、カラス型飛行機、玉虫型飛行機が刻まれている。
中心も、三つ巴紋かと思いきや、羽根(プロペラ)が回っている姿をデザイン化したものだと思われます。






八咫烏と、ブルーインパルスか。
とても、夢があります。









眼下の京都の街。









そもそも、ここへ友達と来た理由は単純で、
新垣結衣さんが主人公だった、TBSの【空飛ぶ広報室】が大好きだったからです。
柴田恭兵さんも、素晴らしい演技でした。

でも、ガッキーが可愛かった。(ここが大事)

大河【光る君へ】 いいらしいですね

  大河ドラマ【光る君へ】、さらには、あまり絵的に知ることのなかった藤原道長役の柄本佑さんの演技に、父ははまっているそうですが、 父は平安時代の台頭激しい、東国の力強さが、大好きですが、i-padのケースを見るなり、烏帽子として被っている。2016年なので、先を行っていました。た...